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2007年07月 アーカイブ

2007年07月11日

ダイエットの決心

私は、ダイエットなるものを馬鹿にしていました。
人目ばかりを気にする小娘の願望をかなえるための不健康な療法のように思っていました。
なぜそんなに痩せる必要があるのか、対して太っていない娘さんまでも、わざわざおいしい食事を無理やり減らして不健康なダイエットをするとは何事かと感じていました。

3年前、それは2004年の8月のことでした。
私は新宿区西早稲田の会社で働いているのですが、ある用事で、河田町の視覚障害者施設に社員と一緒にいくことになりました。
その施設へは、これまでも何回か一人で歩いて行ったことがあるので、そのときも歩いていくことにしました。
早稲田通りから裏道を通って諏訪通りに抜け、少し西に歩くと箱根山通りに出ます。
諏訪通りを渡って箱根山通りを戸山講演沿いに大久保通りに向かいます。
大久保通りに出たところでまた少し西に歩き、国立国際医療センターの前を通過して大久保通りを渡り、細い路地を通って都営大江戸線の若松河田駅の前に出るルートです。
このルートの中で、諏訪通りと大久保通りを繋ぐ箱根山通りがかなりの上り坂になっています。
箱根山通りを歩いている間右手にあるのが旧尾張藩の下屋敷の跡地の丘陵に作られた戸山公園です。
この上り坂をいつもは一人で歩いていたのでさほど感じませんでしたが、このときは、会社の女子社員と二人で歩いていました。
彼女の方は何の苦もなくすたすたと良いペースで歩いていくのですが、私の方はというと、かなり息が上がり、はあはあしながらやっとついていくというありさまでした。
このとき、「ちょっと体重を落とさなきゃなあ」と、「ダイエット」という悪いイメージの言葉でではなく、「減量」の決心をしたのでした。

音声体重計の購入

ところが、減量すると言っても、具体的にはどうすればよいのかかいもく見当がつきませんでした。
そこで、とにかく、自分の体重を把握するのがまず先決だということで、体重計を探しました。
私は目が見えない視覚障害者です。
ですから、音声で体重を知らせてくれる体重計が必要です。
そして、いろいろと調べて見ると、タニタから音声で操作のガイドや結果を知らせてくれる体組成計(体重計を含む)が発売されたことが判りました。
これを手にしたのが2004年の9月半ば、カセットテープのマニュアルもついていて、目の見えない私にとってとても親切な製品でした。

もともと私は体重計が欲しかったのですが、カセットテープのマニュアルを聞くと、体重だけではなく、基礎代謝量や体脂肪率、そして内蔵脂肪レベルまで量れるとのこと、そして、健康を目指すのであれば、体重だけを気にしているのでは全くだめだということが判りました。

それまで、私自身はきわめて健康だと自負していました。
ほとんど病気らしい病気にかかったことがないからです。
思い出すと、1999年の秋に扁桃腺を取るために1週間ほど国立国際医療センターに入院しましたが、これは病気ではありませんでした。
私自身の判断で、扁桃腺を取って欲しいと申し出てやってもらった手術でした。
そんなわけですから、8月のことがあった後でも、単に体重が重すぎて少し体力不足だから、少しは減量しなくてはと思っていただけなのでした。
しかし、このタニタの音声体組成計の音声マニュアルは、その私のおごりを一気に突き崩したのでした。

縄跳び

2004年9月15日、いよいよタニタの音声体組成計を便りにしての減量(「ダイエット」とは違うのだ)策戦が始まりました。
前日、夜11時頃飲んで家に帰ってきたときに体重を量ってみました。86.1キロ、2004年9月14日の夜は86.1キロありました。
さて、翌日ですが、まず、早朝縄跳びをすることにしました。
朝起きた直後に、パジャマから半ズボンに履き替えて、近くの雑貨やさんで購入した縄跳びの縄を掴んで外に飛び出しました。
時刻は早朝5時、まだ人通りも少ないので、適当に道路で縄跳びを始めたのです。
誰かが見ていないかなあなどと気にする心が頭をもたげてきましたが、そんな心配を長々としているほど長くは持ちませんでした。僅か30回、30回縄を飛んだだけではあはあと息が上がり、もはやこれ以上縄跳びを続けられない状態になりました。
家のすぐ近くで縄跳びしたのにも関わらず、家に戻るのがやっとのことでした。
家に戻り朝風呂に入ってそこから上がる頃には、ようやく息も平壌に落ち着いてきました。
そして、この日課がしばらく続くことになりました。
朝5時頃起きて、着替えたらすぐに縄跳びに飛び出し、終わったら家に戻って朝風呂に入る、その後はメールチェックや録音図書などを聞いて少し時間を過ごしてから会社に出かけるという日課です。
そうこうするうちに、縄跳びも100回以上連続でできるようになり、体重も85キロ台はすぐに突破、84キロ、83キロと徐々に減っていったのです。

水泳

縄跳びを早朝の日課にしたわけですが、1週間ほど経過すると、困ったことになりました。
膝が痛くなってきたのです。
私は運動学など全く勉強もせずに早朝縄跳びを全力で始めました。
最初30回しか飛べなかったのが、1週間もすると、200回ぐらい飛べるようになりました。
でも、今度は、息が上がるのではなく、膝が痛くて飛べなくなってきたのです。

運動に詳しい友達に聞くと、縄跳びは膝をいためるから止めた方がよいと言うのです。
「お前みたいな体重の者が縄跳びをすれば、膝にものすごい負担がかかるんだよ」と諭されました。

始めたばかりの減量策戦を1週間であきらめなければならないのか!と愕然としました。

しかし、ここであきらめないのが私です。
それなら、「水泳」をしてみようと思案しました。
しかし、私が気楽に通えるとしたら、東京都障害者スポーツセンターのプールかなと思い浮かびました。
このセンターにいくのには、高田馬場から山手線で池袋まで行き、池袋から埼京線に乗り換えて十条で下車、そこから徒歩で15分ぐらいのところです。
私は以前十条に住んでいたことがあるので、このセンターまでの道のりはよく覚えていました。
しかし、今住んでいるのは西早稲田、会社も西早稲田ですぐ近く。それにも関わらず、仕事が終わった後に電車と徒歩で約1時間もかかるところに出かけるのは・・・。
ウーン、どうしようかなあと本当に思案しました。
でも、私の会社に通勤してくる仲間達は1時間以上の通勤時間をかけて会社にきています。
ならば、私は、会社が終わった後、もう一つの仕事に出かけるつもりで行けばいいんだと心に決めました。
こうして、私は水泳に通うようになりました。

食事制限

さて、減量はほぼ順調に進んでいるように思えましたが、1ヶ月ぐらい経過した頃でしょうか、どうしても83キロの壁が突破できないところに至りました。
夜水泳をやるようになってから、早朝の縄跳びは少し控えめにしていましたが、それでも続けていました。
ですから、時間の取れるときは、朝縄跳びをして、仕事が終わってからプールに行って水泳をするという生活になりました。
ただ、仕事の終わりはいつも一定ではないし、夜は別の用事が入ることもあるので、水泳は週に3回程度でした。
そんな生活で体重は徐々に減ってきたのですが、なぜか83キロのところで停まってしまったのです。

そこで、考えました。何とかして80キロを割るところまでは行きたい!そのためには、食事を少し制限しよう・・・。

私の食事制限策戦は、朝食を減らすことから始まりました。
それまで、朝食は比較的しっかりと取っていました。
昼や夜よりも、朝しっかりと食べないと、という考えで、朝、焼きうどんとか、しっかりしたコンビニ弁当を取っていました。
しかし、この食事制限を決心した日から、朝は大腹とかマドレーヌのような甘いもの一つと飲み物だけ。飲み物もなるべく脂肪を分解するヘルシア緑茶という生活に切り替えました。
そして、夕飯も、泳いだ後はお茶碗1杯ぐらいしか食べないというライフスタイルを確率したのです

空腹への勝利

食事制限を始めた当初、朝食の制限はさほど苦になりませんでした。
理由はよくわかりませんが、午前中の仕事が忙しくて、空腹を感じている閑がなかったのかも知れません。
一方、夕方は大変でした。
会社の仕事が終わって十条の障害者スポーツセンターに向けて出発します。
十条の駅を降りるところまでは全く問題ないのですが、十条駅からスポーツセンターまでの道すがらが大変です。
いろいろとおいしい食事を出している料理屋さんがつらなり、道中、おなかがぐうぐうとなります。
良い香が漂ってくると、思わずそのお店に入りたくなります。
ですが、東京都障害者スポーツセンターの開館時間は午後9時まで、水泳ができるのは午後8時20分までなのです。ここで料理屋さんに入って食事でもしようものなら、プールで泳ぐ時間が一気にすっ飛んでしまいます。
私にとって大事なのはどっちだ、空腹を満たすことなのか、今泳ぐことなのか・・・。
空腹を満たすのは泳いだ後でよいはずだ・・・。
そんな風にして、自分自身を説得して東京と障害者スポーツセンターに歩を進めました。

さて、そこで興味深いことが起こるのです。
あんなに強烈な空腹感を凌いで水泳をしたのに、泳いだ後は、そのときの空腹感はすっかり消えているのです。
全く腹が減っていないのです。
来たときと同じ道を十条駅に向かって歩きます。当然、先ほどと同じとても良い香がつらなるお店から漂ってきます。
でも、帰りの道中は全くこれらの店に誘惑されないのです。
結局、何も食べないのも健康に悪いだろうと考え、家に帰ってからご飯が炊けているときには納豆で茶碗1杯、ご飯がないときには近くのローソンでおでんを3個ぐらい買ってきて食べて寝るという生活パターンになりました。

この生活パターンで、体重が順調に減っていったのです。

お正月

2005年元旦、私は減量作戦を始めてから最初の正月を迎えました。
私は静岡出身です。
お正月は、いつも静岡に帰郷します。
静岡では、もう陰虚生活の父と母が小さな県営住宅に身を寄せて暮らしています。

2004年12月31日、新幹線で静岡駅のホームに降り立つと、いつものように75歳になる父親が迎えにきてくれていました。
「おー!痩せたのか?」
私を見つけた瞬間に驚きの声をかけてきました。
そうです。私の両親は私が減量作戦に乗り出したことを知らなかったのです。
母が運転する車で家に帰り、紅白歌合戦を見ながらいろいろと話をしました。

縄跳びを始めたこと、水泳を始めたこと、そして食事制限もしていることなどなど。
しかし、帰郷するといつもそうなのですが、私の両親は未だに子供時代の私の幻影が抜けなくて、とにかくたくさん食べさせようとして、食べ物が次々と出てきます。
お正月ぐらいは多少リバウンドしてもよいかと思い、出されたものをほとんど拒否せずにどんどん食べてごろごろした正月となりました。

翌朝、元旦の日、両親に促されて家の体重計に乗ってみると・・・76キロ。
減量作戦を始めた時点から3ヶ月半、3ヶ月半で10キロ体重が落ちていました。
この頃からでしょうか。「ダイエット」という言葉にもさほど違和感がなくなり、母親から「ダイエットしてるの?」と聞かれても、抵抗なく「そうだよ」と答えるようになっていました。

縄跳び禁止

朝の縄跳びは、水泳を始めてから一時少しペースを落としましたが、膝の痛みが取れてから、また一生懸命やるようになりました。
最初は30回跳ぶのがやっとでしたが、やがて100回跳べるようになり、200回跳べるようになりました。
また、2重跳びも試してみました。
子供の頃、縄跳びが結構得意で、2重跳びでも100回ぐらい連続でできたような思い出があります。
しかし、46歳になった今、毎日やって少しずつ体力が戻ってきたといっても、2重跳び100回はとても無理です。
5回連続で跳ぶともう息が上がります。

さて、早朝縄跳びは、時間にすれば僅かなものですが、その間結構気を使います。
人が歩いてくればいったん止めて通り過ぎるまで待ちます。新聞配達のバイクが走ってくることもあります。もちろん、そのときは縄を止めて休みます。
6時を過ぎると人通りが多くなるので、朝寝坊して6時を過ぎてしまったときは縄跳びはお休みです。
また、雨の日もお休みです。

そんな風に周りを気にしながら続けていた縄跳びですが、それでも二日に一度よりは多いペースで続けていました。
縄跳びを始めてから半年ぐらい経ったある費、いつものように朝早く起きて、家の近くの路上で縄跳びをしていました。
すると、迎えの家の方が掃除をするために出てきました。
そして、その方は、掃除の手を止めて私に声をかけてきました。
「すみませんが、まだ朝早いのでみんな寝ています。縄跳びを止めてもらえませんか。」
なるほど、確かに朝早いです。
5時ですから。
まだ寝ているのが普通ですね。
そんなわけで、その日から私の早朝縄跳びはぱったりと止みました。
そのときから、私の減量作戦は、夜の水泳と食事療法に絞られました。

憧れの浜口京子

憧れの浜口京子

私のダイエット生活は、いつしか定着したものになり、常に今よりも減量した状態を目指すようになりました。
76キロを割った頃から、私の次の目標は72キロになりました。
その体重とは、女子レスリングの浜口京子のクラスの体重なのです。
浜口京子は、あまりにも目立ちすぎる父親のアニマル浜口の下、けなげに練習を積み重ねています。
マスコミに報道されることが大変多いのにも関わらず、マスコミインタビューのときには、アニマル浜口とは大きく異なり、落ち着いた淑女の対応をしています。
こんな浜口京子さんを私は心から応援しています。
そして、アテネオリンピックや世界選手権など、世界のトップレベルの大会では吉田沙保里や伊調千春、伊調馨などが優勝する傍ら、順優勝とか銅メダルで無念の涙を流している浜口京子がとても愛くるしく私の心に食い込みます。

そんな浜口京子の体重、72キロが私のダイエットの目標体重になりました。
いつも夜寝るとき、浜口京子とレスリングで組み合うことをイメージし、そのためになんとしてでも72キロまで落とすぞという気合が入ります。

そんなこんなで、目標の72キロを割ったのは、減量作戦を開始してから約8ヶ月後の2005年4月半ばのことでした。

86キロからのスタート、8ヶ月で14キロのダイエットに成功しました。
これも、浜口京子さんのお陰だと、いまでも彼女に感謝しています。

ダイエットスローダウン

縄跳びを完全自粛してから、私のダイエット策戦は、夜の水泳と食事制限の2本に完全に絞られていました。
食事制限も、当初よりも厳しく架せられるようになり、「外食は1日1回以上は絶対にしない」から「1週間に3回以内にする」となり、ついに「外食1週間に1回」という高い目標を一時立てていました。
それは、2005年の3月頃だったと思います。

ところが、ダイエット策戦にとって大きなピンチが訪れました。
2005年4月に、東京中小企業家同友会の障害者委員会の委員長となり、同会の理事にも就任したのです。
これは、大変大任で、本業をこなしていくのと両立させなければならないので、時間の配分が大変難しくなりました。
特に、中小企業家同友会の出席すべき会合が俄然と増え、夜の時間に水泳にいくことが難しくなりました。
それまでは、週に3ないしは4回水泳に出かけていましたが、2005年4月からは、週に一度ぐらいのペースに落ちました。
さらに、中小企業家同友会の会合の後は、懇親会と称して、仲間で飲みにいくことが大変多いのです。
私は新米の委員長、新米の理事ですので、なるべく皆さんとの交流を図る意味でも、なるべく懇親会に参加するようにしました。

これにより、「外食は週一度」という目標は、一気にどこかにすっとんでしまい、週に3・4回飲みにいく生活スタイルになってしまいました。

こんなことですから、私のダイエット策戦は一気にスローダウンしました。
しかし、幸いなことに、多少のリバウンドはあったものの、長期にわたるリバウンドは一度も起こさず、長期的には常に体重が減少していく流れは2007年7月の今にいたるまで維持しつづけています。

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